苦悩だらけのバカンス
太陽が沈む瞬間の世界は、昼の物語でも夜の物語でもない。まるで終わりかけのバカンスのように、夕焼けはどっちつかずのグラデーションとして空に広がっている。そのグラデーションの中に、指標となるような眩い光が一瞬だけ差し込んだとしたら…。エリック・ロメール『緑の光線』はそんな神秘的な光にまつわる映画だ。
パリに住むデルフィーヌは、一緒にバカンスにいく予定だった友人にドタキャンされ、理想のバカンスを探す旅に出発する。別の友人の誘いでバカンス地にたどり着くも、旅先の人々と打ち解けることができず、すぐにパリへ帰ることに。その後も別のバカンス地に行くのだが、彼女の理想のバカンスとはほど遠い場所ばかり。ここではないどこかへ。私ではない誰かと。そんなとき、ある伝説を耳にする。太陽が水平線に沈む瞬間、明るい緑色の光が見えることがあるという。その「緑の光線」を見ると、自分と他人の感情がわかるようになるのだ。彼女はこのロマンチックな伝説になぜか興味を惹かれて…。
デルフィーヌは、“いわゆる”なフランス映画に登場する魔性の女や、自由奔放なパリジェンヌとは少し違う。寂しがり屋だが警戒心は強く、刺激は欲しいが引っ込み思案。心の中は不安や寂しさでいっぱいだけど、他人に対しては少し見栄っ張り。長く付き合った恋人と別れてから、他人との距離の縮め方も自分との向き合い方もわからずにいた。そんな寂しいひとりの女性にとって、バカンスは必ずしも楽しいものではなかったのだ。
軽やかさの必要
デルフィーヌのデリケートな性格は食事にも表れている。豚の骨つき背肉、ブルーチーズ、レアステーキ…旅先の食卓に次々と煌びやかな皿が並べられる中、デルフィーヌはさらりと「肉は苦手なの」と言って皿を突き返す。豪華な食卓で彼女が口にしたのはタブレとトマトだけだった。
タブレというのは、フランスなどの地中海地方で食べられているサラダ料理だ。世界一小さいパスタと呼ばれるクスクスを茹でて、野菜やハーブと和えたシンプルな一皿。味付けは塩とレモン。他にもライム、オリーブオイル、ワインビネガー、酢などが使われることもある。ドレッシングの爽快感が料理のポイントになるようだ。
デルフィーヌはタブレを食べながら「野菜は軽やかな空気を感じさせる」と語る。デルフィーヌが抱えている重苦しい感情は、濃い味付けの肉料理を喉から押し返してしまうらしい。その反面、タブレはデルフィーヌの喉をするりと通り抜ける。野菜の軽やかさをレモンの酸味が凝縮し、デルフィーヌの抱えている感情を一時的に爽快感で洗い流すのだろう。
デルフィーヌは旅の終わりになにを見つけるのだろうか。緑色の光線は、曇り空のようなデルフィーヌのバカンスを照らすことができるのだろうか。サラダの仕上げにかけるレモンの酸味が、野菜の味をまとめあげ、デルフィーヌと世界とを繋ぐように。
『緑の光線』
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