映画の魔法に酔いしれる
ロマンチックなキスシーンの直前、観客が息を飲み静まり返る映画館。おどけるチャップリンを全員で笑い、ジキル博士のおぞましい姿には全員が思わず目を背ける。映画をみるというひとつの目的のために、子どもも大人も浮浪者も紳士も、あらゆる人々が集う2時間。ひとつの物語を前にして、人々の感情は一体となる。
映画は魔法である。『ニュー・シネマ・パラダイス』は、その美しい本質を心の底から感じることのできる映画だ。
戦後のシチリア。小さな村にある唯一の娯楽は、教会に併設された映画館だった。村の少年トトはたちまち映画に魅了され、映写室に居座るようになる。次第に映写技師のアルフレードと仲を深めていくトト。しかしある日、フィルムの発火が原因で映画館が全焼し、アルフレードは視力を失ってしまう。映画館は新たに建て直され、アルフレードの代わりにトトが映写技師に任命される。そして、青年になったトトはエレナという美しい女性と恋に落ちる。しかし、エレナの進学、両親の反対、トトの徴兵などによって、ふたりは切り裂かれてしまう。除隊後、村に戻るトト。村の景色は何ひとつ変わらない。しかし、会いたい人には会えず、映写室では見知らぬ男が働いていた。落ち込むトトにアルフレードは強く言い聞かせる。「村をでて、決して帰ってくるな。人生とは、映画よりも困難なものなのだ。」
人生はレモン味…
30年後、アルフレードの葬儀に出席するため、トトが村へ帰ってくる。テレビの普及で客が入らなくなった映画館は閉鎖となり、いつも怒ってばかりだった母もすっかり年老いた。30年ぶりの母との食事。食卓には黄色い果物が置かれていた。昔を思い返せば、アルフレードの手伝いをして帰った日も、ママと喧嘩した日も、食卓にはレモンがあった。
レモンの一大産地であるシチリア。イタリアで出回るレモンのうち約7割がシチリア産だと言われている。イタリアの西南部に位置するシチリア島は、レモンの生産にぴったりの地中海性気候。1年を通して花が咲くレモンの木を庭で育てている家庭も多く、果汁だけでなく皮や葉も余すことなく使う。昔も今も、シチリアの人々にとってレモンは食卓に欠かせない果物なのだ。
たしかに、アルフレードの言う通り、映画と人生はまるで違う。人生は酸っぱい。映画と違って、現実では恋に落ちた瞬間のふたりにスポットライトは当たらないし、悲しいとき一緒に泣いてくれる観客もいない。映画が2時間限りの魔法であるように、トトにとって村で過ごした少年時代も儚い幻だった。しかし、シチリアのレモンは、30年の時を経ても変わらずトトを温かく迎え入れてくれる確かな存在だ。
映画の冒頭、窓の外の青い海が映し出される。テーマ曲の旋律と共に、ゆっくりとカメラが引いていく。海風に揺れる白いカーテン、そして窓際のテーブルに置かれたレモン。映画史に残るこの美しいオープニングは、シチリアという土地の懐の大きさを象徴するまぎれもない真実である。
『ニュー・シネマ・パラダイス』© 1989 CristaldiFilm