安心と自由は、子どもたちに約束されるべき権利だ。しかし環境破壊が進んだ現代において、必ずしもそれが保証されていないのが実状である。そんな失われつつある子どもたちの権利を守ろうとしている農家がいる。
あっきー農園は神奈川県二宮町で野菜を栽培する有機農家だ。18年ほどの沖縄生活で大自然から生きるヒントを得たというあっきーさんには、少年のような純真さと誠実さが垣間見える。そんなあっきーの夢のひとつは、学校給食に使われる野菜を全てオーガニックにすることだ。
沖縄を離れ2022年に就農したあっきーさんが、農業を通して子どもたちの未来を考えるようになったきっかけはなんだろうか。あっきーさんの目指す農業についてじっくりとお話を伺った。
沖縄での島暮らしから念願の農家へ
「便利なものが溢れていく世の中で、20代前半まではそれに飲み込まれて生活していました。海外に行ったり、バイクで旅したりね」
若いころはあまり農業に関心がなかったというあっきーさん。自由な時間を満喫した後、元々好きだったものづくりを極めるために鉄工職人を目指し始める。しかし、20歳前後でバブルが崩壊。鉄工業界も大きな打撃を受け、あっきーさんの勤めていた会社でもほとんどの従業員が解雇となった。
そのとき、海の仕事に興味を持っていたあっきーさんは、沖縄で暮らしていたお姉さんがホテルのアルバイトを紹介してくれたことをきっかけに沖縄へ移住する。しかし、沖縄の海は想像より綺麗ではなかったという。
「青い海と白い砂浜は一見綺麗だけど、海の中を見ると珊瑚礁は死んでいる。当時僕が見た沖縄の海はあまり魅力的ではなかったですね。地球温暖化が原因なのか人間の利用方法が悪かったのか。当時から珊瑚礁の減少が問題視されていたけど、珊瑚の赤ちゃんも育っていたので、コロナ禍で数年だけ観光利用が減ったのもあってか、現在は最高に綺麗な珊瑚礁があると後輩に聞きました」
その後、沖縄の離島でのアルバイトに応募し、“島の暮らし”を始めることになったあっきーさん。そこには本島の自然を圧倒する大自然があった。
「ウミガメは目の前で泳いでいるし、綺麗な珊瑚礁もいっぱいあって。そこで自然にどっぷりハマってしまいました。結局18年くらい沖縄にいましたね」
そしてあるとき、島で農業と漁業を営む新垣正忠さんに出会い、憧れの気持ちを抱くようになった。
「お前ら野菜食べてないだろ?とか言って、収穫した無農薬の野菜やお米をくれたり、海で釣ってきた魚をくれたりして、それがすごく嬉しかったんです。僕もこういうおじさんになりたいなって思いました。僕が育てた野菜を送ったら喜んでくれたので今年も送ります」
そうやって大自然とともに18年間を過ごしたあっきーさんだったが、ご両親の体調不良をきっかけに、実家がある神奈川県へ帰って来ることに。週5日ドライバーとして働き、週2日は有機農家さんでアルバイトという生活を約3年続けたあっきーさん。しかし、やはり沖縄で出会った憧れの人の存在を忘れることはできなかった。
「やっぱり沖縄のおじさんみたいになりたいなっていう想いが強くなって。お世話になっていた『有機農園つ・む・ぎ』に研修してほしいと頼んで、念願の農家としての道を歩み始めました」
育てた有機野菜が給食に、夢への第一歩
そうして農家になったあっきーさんが掲げているのが『オイシイ=笑顔=シアワセ』という方程式だ。沖縄で出会った憧れの人に無農薬の美味しい野菜をもらったあっきーさんは、今度は自分が無農薬の美味しい野菜を育てて子どもたちに食べてほしいと考えるようになった。
さらに、地球温暖化などの環境問題が広く認知される以前の時代を経験したあっきーさんは、自責の念を持っていると語る。人間は他の生き物の生活を脅かすほど地球を汚してしまい、その代償は確実に人間にも及んでいる。
「ここ数十年で急速に地球が汚れてしまった。こんな地球にしてしまったのは僕らの世代なんです。それが申し訳なくて、せめて子どもたちには無農薬で育てたものを安心して食べてほしい」
そう語るあっきーさんの夢のひとつは、学校給食で使う野菜を全てオーガニックにすることだ。二宮町エリアで学校給食に力を入れている人たちに声をかけてもらい、2024年7月に二宮産の無農薬野菜を使った夏野菜カレーを小中学校で提供した。あっきー農園からはじゃがいもやズッキーニなどの野菜が使われ、夢の第一歩を踏み出せたと語る。
「農家さんも食べにきてくださいって言ってくれて、二宮中学校に伺いました。めちゃくちゃ美味しくてびっくりしました。僕が昔食べていた給食はこんなに美味しくなかったなって(笑)。子どもたちが食べたカレーの寸胴鍋はみんな空っぽで嬉しかったですね」
生徒たちは栄養士の食育放送を教室で見ながら給食を食べる。食材を作った農家さんたちが生徒にメッセージを伝える時間もあったという。
「2000人の生徒がいる中で、1人でも農業に興味を持ってくれた子がいたらいいなって思います。その次の世代、次の世代と続いていくわけですから。そこに有機農業が根付いてくれたらいいですね。僕の時代で全量有機野菜の学校給食が叶うかどうかわからないけど、バトンを繋いでいきたいですね」
自然を愛する気持ちからくる想い
環境や健康に配慮した農業を目指すあっきーさんが心がけていることを伺った。
「とにかくプラスチックごみを減らしたい。完全にプラスチックを使わないわけじゃないけれど、使い捨てのものは使わないようにしています。野菜の包装も僕は新聞紙でやっています」
あっきーさんがそう考えるようになったのは、沖縄時代の経験がきっかけだった。ダイビングのガイドの仕事をする中で、海にたくさんのゴミが落ちてるのを目の当たりにしたのだ。
「海の底にもゴミが溜まる場所があってペットボトルだらけなんです。それに気づいてからゴミ拾いをするようになりました。僕も人間である以上ゴミは出していて、拾ったところで全部取りきれるものでもない。それははっきりわかっているんだけど、やらずにはいられないから」
沖縄の離島でビーチクリーンを始めたあっきーさんは、神奈川県に帰ってきてからもゴミ拾いを続けた。今でも毎週日曜日の午前中は海に行き、落ちているゴミを集めている。
「意外と多いのが人工芝の欠片です。劣化して折れた人工芝は雨で流れて川から海へ出てビーチに打ちあがります。ゴミ拾いは地道だけど、だんだん仲間も増えてきて、僕と同じように思っている人はたくさんいるんだなと感じます。僕の場合は義務ではなく楽しみでやっていて。海では色々な宝物が発見できたりするわけです。平塚の海にはアカウミガメが産卵場所を探して上陸します。それにいちいち一喜一憂しながら楽しくやっています。本当に地球は人間だけの場所じゃないんですよね」
あっきーさんのこの行動力と持続力は、自然を愛する気持ちからきている。取材中も自然を純粋に楽しむ少年のような眼差しが印象的だった。
「僕のInstagramには、野菜そっちのけで、畑にいる昆虫とか海の写真をたくさん載せています。あっきーワールド全開(笑)。自然の魅力も発信して、自然に興味を持ってくれる子が1人でもいてくれたらいいな」
沖縄で自然に囲まれて過ごし、憧れの人から『オイシイ=笑顔=シアワセ』のバトンをしっかりと受け取ったあっきーさんは、そのバトンを次の世代につなぐため、オーガニックマーケット出店などの活動を続けている。
「農業は衰退しているイメージがあるけど、実は二宮エリアだけでも有機農業の新規就農者が何人もいて、いい流れを感じています。だから、希望を持ってこれからも種を蒔き育てようと思います」
あっきー農園
Instagram:https://www.instagram.com/akky_nouen/