中世には医師が処方する薬だった「レモネード」が、なぜ大人気ドリンクに変わっていったのか?

新鮮なレモンの果汁に、砂糖と水を混ぜた飲み物「レモネード」。今やカフェの定番メニューから、ペットボトル飲料水まで幅広い用途で、多くの年代から愛されていると思います。

実はそのレモネードには、そのシンプルさからは想像できないほど豊かな歴史と文化があるのです。多くの時代とともに姿、形を変えながらも愛され続けるレモネードの歴史をのぞいてみましょう。

病人のための「レモネード」と、お金持ちの贅沢品

レモネードが今のように普及する前、中世ヨーロッパでは、レモネードはもともと病人のための薬、あるいはお金持ちしか味わえない贅沢品でした。

12世紀のエジプトで、医師が書いた論文によると『レモネードは、喉の症状から消化不良、二日酔いまであらゆる症状に効くもの』と記述があり、また、16世紀のイギリスでも、健康回復に役立つとして、砂糖やレモン汁などを加えたものを医師が処方していたとされています。

レモネードの原材料である「レモン」や「砂糖」が豊富にある一部の温暖な地域では、レモネードが普通に飲まれていましたが、貿易が必要な中世ヨーロッパの国々では、それらはとても高価なものであり、一般市民の手に届くものではありませんでした。

高価な原材料だから普及しない

中世のヨーロッパの国々で、レモネードが普及しなかった理由として、レモネードの味の決め手である甘味料の問題があったとされています。

西インド諸島で栽培されていた「砂糖(原材料:サトウキビ)」は、17世紀ごろまで高価なものであり、また「蜂蜜」に関しては度重なる中世後期の宗教戦争による供給不足が原因で手に入らないものでした。輸入レモンも当時は、一般市民が楽しむには高価すぎるものであったため、一部の贅沢品だったのです。

レモネード売りの誕生=普及

一般市民が飲むものは当時の中世ヨーロッパでは、当然水でした。しかし、その水さえも、今のように水道が整備されていない時代なので、給水泉から水を汲むか、行商の「水売り」から買うしかありません。

そんな状況が続く中、1630年頃に西インド諸島の奴隷労働による砂糖農園の拡大を機に、砂糖の価格急落が起き、パリでは突然、「水売り」が「レモネード売り」となって、レモネードが一般市民の手に届くようになりました。

原材料が手頃に手に入るようになったことで、一部の贅沢品が、一般市民でも楽しめるものとなり、しかも健康的な飲み物であることから一気に広まっていきます。

当時のレモネードはどんなレシピ?

手軽に買うことができるようになった中世ヨーロッパの17世紀半ばには、料理本などでレモネードのレシピが多数紹介されるようになりました。

例えば、ジャスミンの花を使ったレシピでは、ジャスミンの花を水で8時間から10時間くらい煎じ、それにレモン汁と砂糖を加えたレシピが紹介され、その他にも、レモンの皮と果汁、粉砂糖を混ぜたものにコリアンダーの種子とシナモンを入れて布で濾したものなどが紹介されています。

アメリカはフローズンレモネード屋台で大ヒット

1880年頃のアメリカのニューオーリンズでは、シチリアで柑橘栽培や行商を行っていた人が、移民とともにたくさんのレモンを運びました。レモネードはそれ以前から、禁酒運動中のノンアルコール飲料として流行していましたが、新鮮なレモンと製造氷が手に入るようになったこともあり、フローズンレモネードが大ヒット。

ニューオーリンズのような目まぐるしい暑さの中で、爽快感のある冷えたレモネードは、多くの人々に愛されていたことが想像できます。シチリアやイタリアからの移民は、アメリカにレモンとレモネードの愛着をもたらしました。

欠陥品を意味する「レモン」!?

レモンは、英語で「欠陥品」「不良品」という意味のスラングとして使われてるのをご存知でしょうか。コロンブスが1493年の航海でレモンを持ち込むまで知られてなかった柑橘類ですが、カリフォルニアなどでレモン栽培が試みられるものの、品質が悪く、輸入レモンに頼るほどで、満足な味を作れなかったことが由来してるかもしれません...。

そして、20世紀には工業化の手により大量生産が可能となり、現在ではスーパーマーケットの飲料コーナーで見かける定番商品へと変わっていきました。

内山 恵太

内山 恵太

2000年生まれ、北海道出身。広告代理店で制作業務を担当した後、フリーランスのデザイナーとして独立。現在は、デザイナーとして活動する傍ら、神奈川県小田原市の150年以上の歴史を持つ柑橘農園の研修生として農業を学んでいる。果物が大好きで、特に柑橘が好き。おうちにBarのような酒棚をつくるほど、カクテルを作るのがすき。

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