言わずと知れた柑橘王国の愛媛県に、すだちのトップ産地の徳島県、黄色柑橘の代表的な産地である高知県など、それぞれが独自に存在感を示している「柑橘大陸」四国。
その中でも高知県は、ユズや土佐文旦の全国的な産地として知られていますが、「食材としての柑橘」が人々の暮らしに根付いた「酢(す)みかん文化」というものが発展しています。コタツにみかんは我々の生活に根付いていますが、高知県の人々に根付いている「酢みかん」とは一体どういうものなのでしょうか。文化が発展して背景とともに探ってみましょう!
酢みかん=香酸(こうさん)柑橘
高知独特の文化ですが、食用としての果物でなく、料理のスパイスの一種として使う柑橘類を高知では「酢みかん」と呼んでいます。「酢みかん」はいわゆる、すっぱいミカン類のことで、農業関係者たちが「香酸柑橘」と呼んでいるものを指します。
業界関係者が使う仲間分け「香酸柑橘」
果肉を食すのではなく、果汁の酸味や果皮の香りを楽しむことが主流の「添えものグループ」。スダチ・カボス・ユズ・レモンなどのようにポピュラーな物から、沖縄のシークヮーサーのように、その土地特有の品種もあります。
酢みかん文化
寿司に、魚に、蕎麦に…高知では昔から当たり前のように酢みかんが使われていました。しかも驚くべきは、数十種類以上の柑橘の品種を、果皮、果汁、調味料、薬味としても使い分けたりしていることです。
「酢みかん文化」は、古くから伝わる食文化として柑橘を様々な用途で使うことが、普段の人々の暮らしに、文化に、根付いています。
なぜ高知に「酢みかん」が根付いてる?
どうして高知では、数十種もの柑橘が「酢みかん」と認知され、古く伝わる食文化として、人々の暮らしに定着してきたのだろうか。そのヒミツは、まず柑橘類が生育しやすい気候風土と、家でユズ栽培が推進された背景にあると考えられます。
その昔(安政元年)、高知では、大地震による津波の被害がありました。村は飢饉に陥り、塩などが手に入らないことがあったとされています。そこで、塩などの代わりになる調味料として推進されたのが、自生していたユズの栽培です。家の裏でも植えられると、栽培が盛んになりました。
だから、高知の方々にとっては、「庭に生えちゅうがをそのまま使いゆう」という感覚。殺菌・静菌効果で保存性を高め、生臭みを緩和できる点もあるので、酢みかん文化が発展したと考えられています。