小田原サル被害40年の闘い【徹底取材】農業・生活被害の実態

八木下農園の知られざる苦悩の歴史

食糧危機や価格高騰など世界規模での問題が浮き彫りになり、日本でも農業のあり方が少しずつ見直されつつある昨今。しかし実状は、第一次産業という大きな基盤の上に大勢の暮らしが成り立っていると認識する機会は少ないままである。生きることと農業の未来を考えることが密接に関わっているからこそ、私たちは農業をどのように継続し発展させるかを考えなければならない。そのような岐路に立たされた今、私たちが暮らしやすい環境・農業に取り組みやすい環境を作ることに注力してくれた先人の経験や考えを知ることはとても重要である。

西湘地域はサルの被害に長年苦しめられてきた地域だが、現在は八木下農園のある江之浦周辺にサルの群れはいなくなった。その背景には、約40年に渡りサル被害と闘い続けた八木下農園園主・八木下敏雄さんの血の滲むような努力があったのだ。

江之浦の道を堂々と歩くサル

小田原サル被害の始まり

1950年代半ば、湯河原町広河原周辺の旅館や観光地では集客のために野生のサルに餌付けを行っていた。それによって群れの個体数は次第に増えていき、ついには農業被害、生活被害、人身被害が起こるようになった。その群れはH群(広河原の頭文字)と呼ばれ、1974年から1977年にかけて、被害の増加・観光客の減少により餌付けは中止された。しかし、人間から餌をもらえると学習したサルは山から市街地に降りていき、農業被害や生活被害は広がっていった。

同様に、箱根町須雲川流域にいたサルの群れも集客目的で餌付けされ、次第に被害は市街地に及んでいった。S群(須雲川の頭文字)と呼ばれるその群れは住宅地への出没頻度が高く、苦難の末に神奈川県は管理困難と判断し全頭捕獲へと動いた。一方でH群はまだ管理できる可能性があると判断し、サルと人間の共存を目標に掲げ頭数調整にとどまった。

しかし、H群は湯河原から真鶴、そして小田原市街地にまで進出。そこで小田原市内(早川・石橋・米神・根府川・江之浦地区)に結成されたのが、追い払い隊だ。サルが一箇所に居座って被害が集中するのを防ぐため、追い払い隊が煙火などを使用し群れを動かして可能な限り被害を最小限にとどめていた。

しかし2003年、神奈川県がニホンザルの保護管理計画を策定し、群れを巡回させるように追い払うのではなく、小田原市の端に位置する江之浦方面に追い払うようになった。これにより江之浦にある八木下農園の被害がより深刻になる。

サル被害の恐ろしさ

八木下農園が現在までに受けた農業被害額は 約1,000万〜2,000万円。H群は味覚が繊細なサルが多く、より美味しい果実を好んで食べていた。そのようなサルにとって、八木下農園の柑橘は恰好の餌だったのだ。八木下敏雄さんは2人の子どもを大学進学まで支えるために、新しい経営軸となるカラマンダリンを栽培し始める。地域に追い払い隊がいたころは、サルを追い払っている間にかろうじてカラマンダリンを収穫することができたが、2003年以降は畑の周りに毎日サルがいる状態に。

当時のH群には約50頭ものサルが生息し、畑で何度も威嚇されたり、何頭もの群れに畑を囲まれたりすることが日常茶飯だった。家族のために栽培を始めたカラマンダリンがことごとく被害に遭うという状況が何年も続き、八木下敏雄さんはうつ状態になり体調を崩してしまった。

さらに食害だけでなく、八木下敏雄さんの家の庭に出没し威嚇されることもしばしばあった。野生のサルというのは、いざ遭遇してみると想像よりもずっと恐ろしい。当時2歳ほどの娘さんが庭で遊んでいると、突然大きなサルが現れて威嚇され、それがきっかけで深いトラウマを抱えてしまった。

H群全頭捕獲への道

それほどまでの被害がありながら40年間状況がほとんど変わらなかったのには、いくつかの理由がある。神奈川県がニホンザルの保護管理計画を策定しサルを追い払う方角が変わったことで、江之浦周辺以外の地域では被害が減少したという報告が上がった。小田原市全体で見れば保護管理計画は効果的であるように見えていたが、実際のところ根本的な解決にはなっていなかった。

さらに全頭捕獲への道を困難にした要因がある。H群のサルはニホンザルの中でも貴重な遺伝子を持っており、神奈川県レッドデータ生物調査報告書2006において絶滅のおそれがある個体群と位置付けられた。追い払いや防護柵設置、頭数調整などの被害防除対策は進められていたが、全頭捕獲へのハードルは大きく上がってしまった。H群の対策は市議会などの場で何度も議題に挙げられたが、何年もの間話が前進することはなかった。

それでも八木下敏雄さんは、声をあげることをやめなかった。ハードルの高い問題に向き合ってくれる人はなかなかいなかったが、諦めずに市や県担当課に何度も出向き、H群の被害状況を伝え続けた。そして、八木下敏雄さんの訴えに関心を持ったメディアの報道により、サル被害の現状が小田原市内外の人々に伝わり始めた。それによりサル被害に関心を持つ県・市議会議員が現れ始め、きちんと訴えを聞いてくれる職員にも出会う。神奈川県の管理計画見直しのタイミングで、協力して被害報告書を提出。それをきっかけに少しずつ話が進んでいくようになる。

関連:2021年6月22日放送「news every.」(Youtube)

幸せのカラマンダリン

そして2021年、神奈川県は令和3年度神奈川県ニホンザル管理事業実施計画を策定。H群を管理困難と判断し、全頭捕獲に向けて動き出した。それから3年が経ち、とうとうH群は全頭捕獲。八木下農園は今年、約40年ぶりに納得のいくカラマンダリンを収穫した。収穫には八木下農園を担っていく息子の八木下修平さんと、八木下農園初の農業研修生が参加。八木下敏雄さんは「未来を担う者たちとともにカラマンダリンを収穫することができて、言葉では表せないほどの幸せを感じた」と語る。

八木下修平さん(左)と八木下敏雄さん(右)の幸せそうな表情が印象的

八木下敏雄さんの40年分の思いが詰まったカラマンダリンは多くのお客様に渡り笑顔を運んだ。サル被害に決して挫けることなく、毎年微調整を繰り返して本物の美味しさを追求してきた八木下敏雄さんは、「これからも小田原の柑橘の素晴らしさを発信していきたいです」と語る。

他人事ではない鳥獣害被害

教育や福祉、経済、観光など、課題が山積みの政策において、農業の鳥獣被害は必然的に優先順位が低くなってしまう。しかし、手遅れになってからでは遅いのだ。現在は小田原のサル被害はなくなったものの、湯河原周辺には未だサルの群れが生息している。

さらに、近年問題になっているのが鹿だ。小田原市街地の上にある畑や針葉樹の山に鹿が急増し、鹿の食害による山の荒廃が深刻化しつつある。これが続けば山の保水力が低下し、大雨が降った際に市街地へ一気に流れ、河川の氾濫や浸水のリスクが高まっていく。

八木下敏雄さんは「鳥獣被害は皆さんに関係がある問題なので、多くの人に関心を持ってほしい」と語る。

畑に現れた猪の下顎骨

また、鳥獣被害は農業の後継者不足や耕作放棄地増加の一因にもなっている。大切に育てた生産品が収穫の直前にすべて食べられてしまっては、やる気が削がれるのは当然だ。農業を発展させるためには、農業に取り組みやすい環境(インフラ)整備からスタートしなければならない。「鳥獣被害に限らず、地域と県と国が連携してコミュニケーションをとり問題に向き合わなければ、農業の発展・街の発展は難しいと感じた40年でした」その言葉の重みを知った今、私は当事者意識を持つことの重要性を身にしみて感じる。

かなえ

かなえ

1999年生まれ、岡山県出身。映画・ドラマなどの最新エンタメ情報サイトで企画・編集・ライティングを経験した後、神奈川県小田原市へ移り住む。すべての映画と、ほとんどの音楽と、ほとんどの本と、すべてのお酒が好き。星が綺麗な冬の夜も好き。

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