【映画と果物】輝きは水に反射する『わたしは光をにぎっている』

湯は心を写しだす

映画『わたしは光をにぎっている』の物語は、美しい湖から始まる。綺麗な水ほどよく光を集める。かすかな風にさざめく水面の動き。それにつられて水面を移ろう光の粒たち。ふと現れてはどこかへ消えていくその動きは、私たちの心の中とよく似ているような気がする。

『わたしは光をにぎっている』の舞台は古き良き銭湯だ。銭湯は昔から人々に愛されてきた日本文化のひとつで、『千と千尋の神隠し』『テルマエ・ロマエ』『湯道』など、映画でも取り上げられることの多い場所。そんな銭湯映画のひとつである本作は、一人の少女が銭湯の経営を通して居場所を見つけていく物語だ。

長野県の田舎に住む内気な少女・澪(みお)。親代わりに育ててくれてた祖母が入院することになり、澪はしぶしぶ東京へ移り住む。亡き父親のつてで、仕事が見つかるまで都内の銭湯で寝泊まりすることに。なかなか続けられる仕事が見つからず悩みながらも、澪は居候先の銭湯の仕事を手伝うようになる。

みんなに喜んでもらおうと考えた澪は、みかん湯に挑戦する。スーパーでみかんを一箱買うと、傷物のみかんをサービスでつけてくれた。みかんの箱を抱えて銭湯に戻る途中、常連客が街の人と楽しそうに話している姿を見かけた。そして、浴槽にたっぷりためたお湯にみかんを投げ入れる。開店前の静まり返った銭湯に、みかんがお湯を弾く心地よい音が響き渡る。

苦しいときほど強く握る

みかん湯は、みかんの皮を干したものをお湯に浮かべて作る。代謝を上げて血流をよくする成分と柑橘の香りがリラックス効果を生む。劇中ではみかんの皮ではなく、みかんを丸ごとお湯に入れている。丸ごと入れると、みかんに含まれるリモネンという成分がお湯に溶け、肌が弱い人やアレルギーがある人はヒリヒリ感じてしまうことがあるが、公衆浴場のみかん湯はみかんを丸ごと入れるイメージも強い。みかん湯は、私たちにとっても銭湯で働き始めたばかりの澪にとっても、一番手軽に挑戦できる薬湯ではないだろうか。

そうして意気揚々とみかん湯に挑戦した澪だったが、銭湯に来たアレルギー持ちの娘と母親にこっぴどく怒られてしまう。みかん湯をするときは事前に告知するというルールがあるらしい。引きつった表情を浮かべながら猫背で平謝りする澪。しかし、銭湯の客や近所の人々と交流するうちに、澪はまただんだんと心を開いていく。銭湯の仕事にも馴染み、ようやく居場所を見つけたかに思えた澪。しかしある日、街の区画整理のため銭湯が閉鎖になることを知る。

希望はいつも、ふと現れてはどこかへ消えていく。東京での生活でそれを実感した澪に、祖母が語りかける。「言葉は必要なときに向こうからやってくる。形あるものは、いつかは姿を消してしまうけれど、言葉はずっと残る。言葉は心だから。心は光だから」

無理に言葉を紡ぐ必要はない。ただ、「わたしは光をにぎっている」と自分ではっきりとわかっていることが大切なのかもしれない。握っている光は、ふとお湯を掬い上げたときに移ろいゆく光の粒として現れるかもしれないし、みかんがお湯を弾く音の反響として現れるかもしれない。握っている光が外の世界と調和するその瞬間、澪は少しだけ背筋を伸ばし、俯きがちな頭を上げて歩きだすのだった。

『わたしは光をにぎっている』
© 2019 WIT STUDIO / Tokyo New Cinema

藤井 叶衣

藤井 叶衣

1999年生まれ、岡山県出身。映画・ドラマなどの最新エンタメ情報サイトで企画・編集・ライティングを経験し、会社を辞めて神奈川県小田原市へ移り住む。すべての映画と、ほとんどの音楽と、ほとんどの本と、すべてのお酒が好き。あとは、星が綺麗な冬の夜が好き。

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